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教科書の丸写し内容を黒板に書く授業だけで高給取りの老人教師について

昔、自分が学生だった頃、教科書の内容を丸写しで黒板に書くだけの授業をしていた老人教師がいました。

教科書の内容を丸写しで黒板に書くだけの授業

老人教師の授業の流れ

教科書の内容を丸写しで黒板に書くだけな老人教師の授業の流れは、下記の感じでした。

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授業開始

老人教師は無言のまま教科書の内容2P分をそっくりそのまま黒板に写す。

生徒はそれらを全て、ノートに写す。

教科書のテキスト通りの説明を数分ほどする。

老人教師は無言のまま教科書の内容2P分をそっくりそのまま黒板に写す。

生徒はそれらを全て、ノートに写す。

教科書のテキスト通りの説明を数分ほどする。

鐘が鳴る(授業終わり)

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いかがでしょう。

正直、これって教科書があれば、教師がいる意味ないんでは・・・という感じの授業です。

いったいなぜ、生徒たちがそれでも文句を一切言わずにノートを取るかといえば、もちろん理由があります。

老人教師の授業はノートで単位が取れる

なんと、老人教師の授業は、授業全ての内容をノートに模写しておき、それを提出すれば、絶対に単位をもらえることが確約されているのです。

たとえテストが0点でも、ノートさえ出しておけば、単位が絶対にもらえます。

・・・うーん・・・。

これって、生徒たちにとってはテスト勉強せず、お手軽に単位が取れてありがたいのですが、しかし、よくよく考えると、こんな怠慢な授業があって良いのだろうか、という気にもなりますよね。

正直、自分は、その科目について、もっと理解を深めたかったので、教え方が下手・・・というか、教え方そのものが存在しない、その老人教師のことが嫌いでした。

しかし、当時の自分には、文句を言おうにも、文句を言えない理由がありました。

それは、自分以外にデキる人たちがいたからです。

教師がどんな教え方をしても、生徒の成績には必ず優劣がつく

老人教師はまともに授業を指導していない。しかし、いざテストになれば、問題をすらすら解ける人間と、どうにも解けない人間に分かれてしまいます。極端なことをいえば、授業で習っていない内容であろうと、解ける人と解けない人がいます。

これはなぜかといえば、理由はとてもカンタンです。学校には、そもそも教師に頼らず、自分でしっかり勉強している優秀な人たちがいるからです。

学校において生徒は無力。教師にフィードバックしにくい環境

その老人教師が担任になる前の年、その科目の自分の成績は、いわゆる「5」でした。

しかし、その老人教師になってから、授業内容がほとんど理解できなくなってしまい、成績は一気に「3」くらいまで下がりました。

とはいえ、そのことを文句言おうとしても、教師の答えは分かり切っています。

「おまえができないのは勉強不足なだけじゃないのか? 現に、他の生徒にはデキる奴がいるぞ?」

そう言われて、終了です。

先ほど述べたように、教師がどんな教え方をしようと、生徒たちにはデキる人と、デキない人がいます。よって、教師は、そのことを理由にして、「教育に関する解釈」をいくらでもでっちあげることができるのです。

教師たちの圧倒的権力

勉強の話題から少し方向性を変えて、とても極端なことをいってしまえば、もしも「いじめ」が起きても学校の責任ではないと言い張ることもできます。なぜなら、他の生徒はうまくやっている。いじめが起きているのは、その生徒だけに問題があるのでは・・・? というように答えることもできるからです。

生徒がどんなに抗議しても、教師たちは「それは君の主観であって、生徒の総意ではない」と一蹴できてしまうのです。

つまり、教師は「自身の業務成果に依存しない優秀な人間」のことを、もっともらしい手柄と見立てて、他の意見を蹴散らすことができるということです。

・・・なんとも恐い存在です。

教師たちの業務成果の範囲はどこからどこまで?

・・・と、ここまでは教師を悪者みたく書きましたが、しかし教師側の内情も分からなくはありません。

そもそも、「じゃあ、教師の授業成果ってのはどう図ればいいんだ?」と問いかけられると、確かに答えにくいからです。

結局、教師は業務委託のように成果報酬の仕事ではありません。どんな授業をしようが、給与にも変わりはありません。最低限、生徒・保護者からクレームが起きないようにしておけば、それで「仕事は完了」なのです。

老人教師の悟り

そういう意味では、老人教師は一種の悟りを開いていたのかもしれません。

「デキるやつは放っておいてもデキるし、デキないやつは構ってあげてもデキない。そして、デキるやつはあんまりうるさくないけど、デキないやつほど声がでかくてうるさいもの・・・それならば、デキない人間を救済する授業をしたほうが、好感度も上がるし、生徒と揉めずに済む・・・」

長い教師生活の末、そんなことを思ったのかもしれません。事実、生徒たちの間で、老人教師は人気がありました。授業自体は全然分からないけど、単位くれるから良い教師、という感じなのです。

しかも、彼の授業方針の素晴らしく狡猾なところは、老人教師を告発でもしようものなら、もれなく他の生徒たちから大クレームを受けて、下手すればいじめられるような状況に置かれかねない、ということです。その科目が得意でなかったり、興味の薄い学生からすれば、ノートを写すだけで単位が取れる素敵な授業。それを妨害でもしようものなら、「余計なことしやがって・・・」と、槍玉にあげられて、一気に共通敵となってしまいます。

・・・なんとも完璧なシステムです。

生徒たちの好感度を集めつつ、最低限の労力で業務を終える。なんともスマートなやり方です。それでいて、そこは私学で、長期に勤めている老人教師の給与は、かなりの高額です。うーん。なんという勝ち組なのでしょう。羨まs(ry

「勉強」と「教師」について

そもそもの勉強の価値とは

受験を終えた後、たとえば大学にも入れば、ほとんどの人が気づくことがあります。それは、「勉強は自主的にやらねば意味がない」ということです。

教師たちはあくまでサポート役であり、勉強の成果を望むなら自主的に取り組まないと、何の意味もないのです。ただ教わるだけの姿勢では、何も身につきません。

じゃあ、いったい教師の価値とは・・・?

勉強は自主的にやるべき物。

・・・そうなってくると、今度は、教師という存在に疑問符が出てきます。

彼らのコトを人生のセンパイや年上の人、というように敬意を払うのは納得できるのですが、「俺は先生、おまえは生徒。だからいうことをきけ!」みたいなステレオタイプの教師には、どうにも頷くことができません。

先述したように、教師は、実体として「アドバイザー」に近い存在でしかなく、人生において絶対的に敬服しなくてはならない存在ではないからです。それなのに、生徒に対して、どうして自信満々に偉そうに振舞えるのか。

・・・ちょっとよく理解できません。

まとめ

話が少し脱線してしまいましたが、とりあえず老人教師はかなりクレバーということでした。完全にチラシの裏みたいな記事でしたが、そういう先生もいたんだよってことをどこかに書き残したかったので、ブログはちょうど良い機会でした。

とはいえ、分かりやすい先生と、分かりにくい先生。でも、それは他の人からすれば逆かもしれないので、老人教師が本当に分かりにくい教え方だったのかどうか、客観的にデータとして調べる方法がないんですよね・・・。

とても難しい問題だと思います。

(※特定に繋がらないよう、本記事では科目や学年などは伏せています。)

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