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「確信犯」「役不足」など間違えやすい日本語は永遠に改善されないの?

「それって確信犯じゃん!」

「オマエじゃ役不足だ」

といったように、間違えやすい日本語の筆頭である「確信犯」や「役不足」。

他にも探すとたくさんの間違えやすい日本語は存在しますが、そんな時にいつも思うことがあります。

それは、「どうして間違えやすい言葉をそのままにしておくんだろう」ということです。

間違えやすいのに改善されない日本語たち

多くの人が間違えやすい・・・という問題を放置している怠慢さ

言葉を使う一番の目的は、言うまでもなくコミュニケーションです。

それにも関わらず、多くの人が間違えやすい言葉について、「これは本当の意味は〇〇なんだよ」って解説することの手間感ったら、ありません。

たとえるなら、分かりにくい看板を作って、そのまま放置しているような印象を受けてしまうのです。

「その看板はこっちの道を示しているように見えるけど、これが本当に示している道はこっちなんだよ」

・・・いちいち説明しないといけないなんて、なんてムダなんでしょう。

たくさんの人が間違えやすいのにどうして改善されないのか?

通の人ぞ知る、通の言葉・・・。

そういった奥深さに魅力を感じることは日本人の感性として分からなくもないのですが、しかし、言葉の実用性を考えた時、その感覚はナンセンスだとも思います。

その言葉を覚えようとした時、たくさんの人が間違えやすいということは、そもそも、その言葉のネーミングセンスに難あり、と捉えることもできます。

こういうと、言葉をつくった作者へのリスペクトが足りない、とも指摘されそうですが、しかし、偉い人が作ったものを最初から全肯定してすべて正解・・・と受け入れることは危険すぎる考えだとも思います。

はたして偉人・上司が作ったものはすべて正解なのか。

それは歴史を少し振り返るだけでも誤りであることが証明されています。

言葉に対し、不便なものにはNOとハッキリいったり、その改善を試みるようなことがないのには、ちょっと懸念を感じてしまいます。

間違えやすいものを正解だと偉ぶる人たちに感じる「脳ミソの固さ」

「この言葉はこれが本当の意味なんだ。そんなことも知らないのか、恥ずかしいやつめ」

みたいにふんぞりかえった人たちが多くいますが、個人的に思うことは、「どうしてそこで思考停止してしまうんだろう・・・?」ということです。

たくさんの人が間違えやすいということは、少なからず、その言葉自体になにかしらの問題・原因があるから起きている事象です。

そういった問題点を捉えようとせず、「これはこうだからこうなんだ!」で思考停止しているところには、なんだか恐怖を感じます。

飛躍した話をしますが、こういう柔軟性のない人たちって、戦争とかになったら、迷わず「国がこうなんだから~」とかいって、鬼の面のようになりそうだなぁ、と感じてしまいます。

まとめ

正しい日本語とは、いったい何なのか。

以上、先人が決めたものをすべて正しいと捉えて思考停止してしまって良いのか、という疑問提起の記事でした!

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