難関大学受験はブラック企業そのもの!学校+塾+自宅=毎月の残業150時間オーバーの勉強量
昨今、働き過ぎによる自殺など、心身を削るブラックな残業が社会問題となっています。
そんなニュースを見ながら、ふと思いました。
「・・・受験勉強って、そういえばブラック労働そのものじゃね・・・?」
と。
目次
難関大学受験は「学校の勉強+月150時間を超える自学が必要」=まさに危険労働そのものという疑念
学生は、その名の通り、学校生活が本業
学生の仕事は、基本的には学校へ通うことです。
そのスケジュールは学校によって差異はあれど、大体が朝の8~9時にスタートして、途中の休憩を含みつつ、15時~16時半くらいには終わるものでしょう。部活でもしていれば、そこに2~3hほどの時間が追加されます。
すなわち、普通に通学しているだけで、学生は7h~11hほど、つまり一日の大半は学校で過ごしているということです。
学生は学校に行くだけで一日の労働基準は十分に満たしている
労働基準法の概念でいけば、一日の労働時間は7h~8hほどです。(うち1hは休息。)
この考えによれば、学生というのは学校に行っているだけでも、これは十分に労働している、ということになります。
しかし、学校生活に通うだけで、難関校に合格することはできるでしょうか。答えは「否」です。
一部の学校推薦などを除いて、ちゃんとテストを受けると仮定した時、おそらく、ほとんどの人が「学校に通うだけの勉強では難関校に行くことは難しい」と思うから、子どもたちを塾や予備校へ通わせているのではないでしょうか。
難関校の受験に合格するには、毎月の残業150時間は当たり前!?
難関大学進学で有名な東進さんのデータによれば、難関大学に現役合格している学生の総学習時間は下記のグラフでまとめられています。
引用:難関大現役合格者 学校以外での勉強時間平均6時間2分!!
このデータを仮に本当として話を進めますと、これは、
「高3の学生は学校の勉強に加えて、一年に2,256時間の追加勉強が必要」
ということを示しているデータです。
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高3で一年に2,256時間???
えっと・・・つまり?
これは超単純計算すると、「一ヵ月に188時間の残業」ということです。
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ひゃ、188時間・・・。。。
もちろん夏休みと冬休みで2ヶ月分の学校休みがあったりするので、この計算は誤りです。しかし、試験自体は1月~2月と早めに終わるので、少し細かく計算しても、「学校の勉強に加えて、一ヵ月に150時間以上は追加勉強しないといけない」というわけです。
すなわち、先ほどの東進さんのデータを極端かつ恣意的に言い換えると、
「難関大学に受かるには、きみら学校の後、一ヵ月150時間以上は残業しろよ^^」
ってことです。
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・・・。
これって、なんかおかしくないですかね?
残業にはストップをかけて受験勉強にはストップをかけない社会
少しだけ冷静に考えて欲しいと思います。
一応医学的にも、人は一ヵ月に100時間も残業したら、危険信号の始まりと言われているそうです。
これは、いちブロガーがほざいている戯言などではなく、国の厚生労働省が呼びかけていることでもあります。(※参考データ「過重労働による健康障害を防ぐために」)
さて、振り返ってみましょう。
難関大学に受かるためには・・・?
「高3で一年に2256時間の追加勉強が必要」
そして、人の健康に障害が起き始めるのは・・・?
「一ヵ月100時間以上。つまり一年に1200時間以上の残業」
・・・。
受験生、かる~く1000時間ばかし、限界突破していますね。
ええと、なんで、未だに誰もストップかけてないんでしょうね。
それどころか、むしろ大人たちは「受験なら仕方ない。学生なら勉強がんばれよ!」って具合に応援しちゃってますよね。
そもそも勉強と労働は別物だが・・・
まあ、受験は任意ですので、やらなくても良いものです。そこが仕事とは根本的に異なるものです。
受験は努力であって、仕事は仕事。
塾や予備校でやる勉強は「本人の意志でやるもの」ですが、ブラック残業は「会社に強いられてやらされるもの」です。
ゆえに、根本が違うのだから、単純に時間だけのモノサシで判断してはいけないというのは、分かります。
でも、この膨大な量の勉強をしないと入れないような大学が複数あって、それが社会的に「その努力たるや良し!」って具合にまかり通っているのは、なんか違うんじゃないかなと個人的には思ってしまいます。
本業で判断せず、残業で判断する受験制度の謎
学生の本業は、あくまで学校です。
そういう意味では学校推薦というのは、最もふさわしい受験制度にも感じます。なぜなら本業部分の成果に対して評価を下しているからです。
しかし、難関大学のめちゃくちゃ勉強しないと入れない関門というのは、微妙です。まず残業ありきでないと突破の難しい試験というのは、どうなんだろうと。
とはいえ、難関大学は、頭の良い子を欲しがっているのだから、そういう問題を作るのは自然なことでもあります。また、一部の専門性に特化した学生を欲しがっているなら、問題が特殊になることも頷けます。
すると、問題はどこにあるのか・・・?
個人的に至った結論は、「膨大な勉強量を持ってして凡人を難関大学にねじこむ予備校の発想がブラックなのでは・・・?」ということです。
そもそも頭の良い子が相応の努力をして難関大学に進んだり、どうしてもやりたい勉強があって努力して挑むのは、あるべき姿だと思います。
しかしながら、なんとなくな学歴にこだわったりして、膨大過ぎる量の勉強を無理にしたり、何度も何度も受験を繰り返して、廃人寸前になってまで受験する制度っていうのは・・・これは本当に健全なのでしょうか。とても疑問です。
過酷な受験勉強を乗り越える=それが標準と認識してしまう危険性
社会人の方には、「わたしは過去にあれだけの努力をした。ここで弱音をあげるのは負けを認めることだ」と考えて、過酷な仕事に耐えている人も少なくないかと思います。
これはまさに過酷な受験勉強が努力の指標となってしまっているケースだと思います。いうなれば、最高の努力値=スタンダートというように誤認識している状態です。
ですが、そもそも難関受験のスケジュールはブラック残業そのものなのだから、その時の努力っぷりを会社に持ち込むことはナンセンスでしかありません。そんな風に働いていれば、いずれ限界を迎えて、疲れ果ててしまいます。
また、逆に、青春を犠牲にした受験勉強を乗り越えて、膨大な努力=普通という精神で育った人たちが、いざ管理職とか経営者になると、「おれはこんなに頑張っている。だからおまえも死ぬ気でやれ」みたいな感じに育つ気がします。これはこれはキツイですね・・・。
勉強は何のためにするものなのか
勉強の目的は色々ありますが、その本質を大きく要点だてると、下記の二点だと思います。
・社会で役立てるため
・自分が生活できるようになるため
そうなると、「学校に入るための試験」ばかりに残業させまくるのではなくて、「これから社会に役立つ知識を身につけるように努力すること」へ時間をかけさせるべきなのではないかと思うのです。
・・・
ふう。
すみません。もう書くの疲れてきたので、超雑に、個人的な結論を言ってしまうと、
「入試はカンタンに。大学の勉強は難しく、かつ実用的に。それから転部、転学を活発にすることが常識のような環境にしたら?」
という感じです。
まとめ
個人的には、ブラックな働き方の根源の一つには、無理な受験制度が要因としてあるように感じています。
余談ですが、自分は学歴の高い人にめちゃくちゃイビられた経験がありますので、学歴に自信をもって周囲を見下しているような人は大嫌いです。